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  • 執筆者の写真qnunun

3月の挨拶



パレスチナの現状を見ていると、痛く苦しいのだが、ドイツの首相が「イスラエルとその国民の安全保障はドイツの国是だ」といったり、ドイツの最大野党が、イスラエルの攻撃に批判的なイスラム教徒に対して「私たちの価値観を共有するイスラム教徒はドイツに属する」といったりしたことにも、自分は苦しみを覚えている。ベルリン国際映画祭のInstagramでイスラエルのジェノサイド批判をした人が、刑事告訴されるかもしれない、ということも。


ドイツは第二次世界大戦以降、ユダヤ人虐殺の歴史に目を背けてこなかったけれど、直視しすぎるがあまりユダヤ人批判ができなくなっていて、硬直していて、なんというか、戦争って全然終わってないし、終わらない。これからも続いていくんだな、という痛みと苦しみ。



最近、職場にお弁当を持って行くことにしている。もともとは食堂でご飯を食べるのが常だったのだが、去年の10月くらいから生活のリズムが崩れてしまい、昼の12時に起きるようになってしまい、しかも午前2時に寝て12時に起きるという感じで、どんだけ寝んねんという感じ。それも毎日。


ひどい時は15時まで寝てしまい、ハッとし、もう後の祭りなのだが、職場に「休みます」と連絡して、最強の自己嫌悪と共に、とりあえず何とかして布団から出て、テレビの前でボーッとして、「何か口にしないと」と思い、『科捜研の女』の再放送を見ながら、グラノーラを齧り食い。グラノーラのボリボリという硬質な音が、テレビのサラサラとした音とともに空虚に響き、あれほど廃人感を味わうことったらないね。


で、気づけば日も暮れてきて、何か達成感が欲しいから「散歩でもするか」となって、2時間くらいほつき歩いて、帰りに駅前の喫煙所でタバコを吸う。なんかこう、syrup16gな日々を送ったりもしていた。


で、なんで毎日12時に起きるのかしら、と考えた時に、一因として挙げられるのは、「1日の3食のうち1食を職場の食堂で済ませる」ということを生活の中心にしているからでは、と思った。例えば9時に起きても、「今からご飯を食べたとして、食堂の閉まる14時までにお腹が空くだろうか」と考えてしまう。これは昼食を食堂で摂らないと、食堂が閉まった後、コンビニで栄養価があまり高いとは言えない食事をそこそこな値段で買うことになるという懸念が根底にあるからだ。


で、結局、「じゃあ12時まで空腹を紛らわすためにも寝ようや」みたいな考えになる。それが身体に染み付いてしまい、だから何時に起きようが結局寝てしまい、12時に起きて、急いで支度をして、職場に行って食堂でご飯を食べるという生活のリズムになってしまった。この14時ごろのご飯が“朝食”となり、当然、仕事をする時間帯も遅い時間にずれ込んでいくし、背徳感もあり、あまり精神的にも好ましい感じではなさそう。


じゃあ食堂から遠ざかる生活を送ればいいのでは、と気づき、そこでお弁当を持って行くことにした。これで、自分が好きな時間にご飯を食べることができるから、食堂中心の生活とはおさらばなのだ。そうしたら単純なもので、9時半くらいには起きられるようになってきて、最近は母にモーニングコールをお願いして、8時に起きられるようになりました。


もともと今の所で働き始めた時もお弁当生活だった。それは前職が飲食系だったからで、その矜持みたいなのがあり、「なんとしてでも3食全て、自分のご飯にしなければ」という心意気だったのだが、ある時、職場でお弁当生活を送っていることを褒められた時、よくわからないのだが急に恥ずかしさを覚えてしまった。また当時住んでいた家が職場から離れていて、なるべく時間を削減しようと思ったこともあり、気づけば食堂中心の生活を送っていた。


しかし6年ぶりのお弁当生活となり、お弁当に詰めるご飯を用意するためにも今まで以上に外食を避けるようになり、自炊の頻度も上がった。私は料理は得意じゃないけれど、それほど苦でもないから、そこそこな心持ちで自炊している。


今年の初めからNHKで『作りたい女と食べたい女』というドラマをしていて、そこには食事を作りたい女性の野本さんと、食べるのが好きな女性・春日さんが出てくる。最初2人は友人関係だったけど、のちに恋愛の対象としてお互いを意識するようになり、交際することになる。なんかええ話で、毎回欠かさず見て、最終回のキスシーンでは「Wow〜!」と思わず胸が高鳴ってしまった。


『きのう何食べた?』に私がハマれなかったのは、男性同士の話で、自分と同じセクシュアリティだからこそ、自分にとってとても遠い世界の話のように感じるからだった。子供の頃から「1人で生きるということ」をある程度、受け入れつつも、「ちょっとしんどいな」と思っているからこそ、パートナー関係にある男性同士に距離感を覚えてしまう。私はストレートの友人に恋人ができたら、素直に祝福するのだが、ゲイの友人に恋人ができたらすごく距離を感じてしまう。ああ、私とあなたはやっぱり違う生き物なのね、他者と交際できる素質やシチュエーションがあったのね、みたいな。近くて遠い感じ。嫉妬もあると思う。でも、そんなことを思っている自分が、ちょっとしんどい。


それで『きのう何食べた?』の原作漫画を途中で読まなくなったし、ドラマも映画も全部スルーしている。いっぽう女性同士のパートナー関係を描く『つく食べ』は、自分とはジェンダーが違うものの同じように同性愛者であるという、遠いけど近い人たちの暮らしを描いているから、スルッと入り込めた。


『つく食べ』で野本さんが楽しそうにご飯を作る姿を見たり、野本さんの同僚が「毎日食堂に通えるほど給料もらってないんで」というシーンで「こんなに給料良さそうな会社員でもそんなこと思うなら、私なんかもっと食堂ないし外食の回数を減らすべきでは…」と思ったりしたのも、お弁当生活を始めた動機となっている。『つく食べ』に、めちゃくちゃ影響を受けている。


とはいえ私は作ることも食べることも、それほど積極的ではないというか、さっきも言ったように、まず作ることは得意ではない。ただ、それほど苦でもない。「まぁ自炊したご飯が結局、一番美味しいよね…」という地点から自炊に対峙していて、「身体にもいいし、食費も浮くしね」みたいな、そういう合理的な観点から自炊をしている感じ。


でも、最近気づいたのだが、副菜を作るのは好きみたい。副菜は野菜を使ったものが多く、パパッとできるものが多い。レタスクラブのサイトを見ると、概ね10分くらいあればできるものばかり。簡単に、いくつも料理ができていくのは楽しい。


副菜はパパッとできるけど、いっぽう主菜はそうではない。しかも肉や魚など、扱う際に注意点の多い食材を使用することが多い。これが面倒。「ちゃんと火は通っているのか」と気にしなくてはならないし、包丁やまな板の使い方も繊細でなくてはならない。


それもこれも、私に肉や魚に起因する食中毒の経験が3度あるからで、だからなるべく家では肉や魚を使わない。そうすると主菜から遠ざかっていって、副菜ばかりを作っていく。でも肉や魚の栄養価を全無視している感じがするし、自炊の献立も限られてくるので、なんか損しているような気分なんだワ。


食べることも、あまり得意ではない。先述のように食中毒の経験があるので、体に摂り入れる際に慎重になってしまう。また幼少期の体験から、私は「食べること」が引き金となってパニックの発作を起こすこともある。


でも、『つく食べ』の春日さんを見ていて、はたと気づいたのだが、そういえば美味しそうにご飯を食べる人と一緒にご飯を食べると、パニックの発作の起こる可能性が少ない。これは、自分にとって目から鱗の大発見で、そうなると、自分のそばに美味しそうにご飯を食べてくれる人がいて欲しいと思うようになった。その人が主菜を作るのが得意なら尚よし。美味しくご飯を食べて、主菜を作って欲しい。そういう人と一緒に暮らせたら、自分の生活も違うベクトルに進むのかしら、とかつい思い描いてしまう。


でも、ちょっと考えが甘いンすわ。というのが、そもそも私は共同作業が得意ではないからだ。誰かと共に生活をするということが、ちょっと想像できない。とはいえ1人で作ったご飯を1人で食べている時、一抹の寂しさもあり、「じゃあ、どないしたらええんやろ」とか思いながら、『つく食べ』の2人をぼんやりと眺めていた。


特に食事を通して季節を感じるのっていいよなぁとか思う。1人で生きていると、ただでさえ季節を感じる機会が少ない。クリスマスだろうが正月だろうが、自分で何かしらの予定を作らないと季節感はない。誰かと季節の野菜を食べるのだって、いいじゃない。私はこの先、一切誰とも季節を共有しないまま死ぬのかしら。


1人で生きて死ぬのは構わないのだが、1人で死ぬ準備をするのは嫌やなぁとよく思う。その観点からも、生活のパートナーがおったらええな、と考えている。死ぬ準備というのは、例えば死に向けて意識を高めていったり、受け入れていったり、終活したり、という作業もそうだけど、悔いなく死ぬために思い出を作ったりするのも死ぬための準備だと思う。このまま1人でそういう準備をして行くのは、なんかちょっと怖い。たまにめっちゃ幸せを感じている時に「どうせ死ぬけど!」と叫びたくなるので、そういう時、そばに誰かがいてほしい。


今のところ、1人で生きて死ぬ可能性の方が高く、独り身だと、孤独死をする可能性だってある。最近は高齢の独り身同士で自助会のように支え合うという取り組みがあるようで、お互いに毎朝LINEで連絡を取り合うなどしているそう。NHKでもそういうドキュメンタリーを見た。それはええな、と思うのだが、その前に私は、繰り返しになるが、共同作業が得意ではない。つまり、協調性を養う必要がある。自助会でも誰かれと調和しなくてはならないだろうし、老人ホームに入った時にも、それは必要なのでは、と思う。


というわけで協調性を養う意味も込めて、1年ほど前から「みんなでご飯を食べる会」というのを主宰している。参加者はLGBTQの人たち、という括りにしつつ、ゲイアプリで呼びかけているので、ゲイかバイの方なのだが、1ヵ月半に一回のペースで、みんなで集まってお店で食事をする。せっかくなので1人で食べに行っても一つ一つが高価だったりして、なかなかいろんなメニューを楽しむことができない“海外料理のお店”に食べに行っていて、これまでパキスタンやミャンマー、モンゴルにペルーなど7ヵ国の料理を食べてきた。次の土曜には、チュニジアのご飯をみんなでいただきます。


会には毎回10人ほどが参加してくれて、私が言い出しっぺのリーダーなので、まとめる係をしている。そこで気づいたのだが、自分はどちらかというといろんな人の話を聞いたり、意見をまとめたりするのが好きみたい。協調性がないと思っていたのだが、厳密にいうと誰かが中心にいる場合、その人のルールに合わせるのが得意ではないのかもしれない。いっぽう自分が真ん中にいれば、逆に相手に合わそうとするみたい。ルールを自分で作った上で、周囲と合意形成していく、みたいな。参加してくださっているかたが実際どう思っているのかは定かではないけれど、自分の協調の仕方について、ちょっと掴めてきた。


会というより、自分を中心にして色んな人がつながっているような、緩やかな共同体でありたいと思うから、会に強制参加させるのではなく、「参加したいときに参加してください」という方式をとっていて、そういうやり方を徹底させるためにも、会のLINEグループを作ったりすることはなく、会のお誘いをするときも日程を決める時も、多数決が必要なときにも、一人ひとりに毎回連絡をするという方法をとっている。「手間がかかるのでは」と言われるし、実際そうかもと思うけれど、一人一人と向き合うほうが自分は安心するので、こういうやり方があっているみたい。人との関わり方について、そういう気づきもあった。


食事会の日に向けて、テーマとなった国でLGBTQがどのような状況に置かれているのかを調べて、会のSNSで発信している。そういうのも楽しいし、会に時事性や季節感を持たせたいので、そのためにはどうしたらいいのかを考えるのも面白い。


何よりみんなでワイワイしながらご飯をシェアして食べるのは、やっぱりいい。前回はイサーンのご飯を食べに行って、一皿3000円の料理を2皿頼んで、11人でシェアした。なかなか食べる機会がないものだからいい経験になったし、感想を言うのも、感想に耳を傾けるのも楽しい。誰かと食事をする機会が少ないので、なおさらいいなと感じる。


セクシュアル・マイノリティのみんなでご飯を食べていると、そういう場でしかできないような話もできる。何より「同性愛者って自分1人だけじゃないんだな」という安心感がある。35歳になっても、いまだに思う。


翻って、異性愛中心の社会で、思っている以上に自分は抑圧や孤独を感じているんだなぁ、とも気づく。言えないことがあったりとか、聞いてほしくない事情があったりとかで、どこか神経を尖らせしまう。そういうとき、孤軍奮闘という言葉が思い浮かぶ。昨年、仕事場の忘年会で「ストレートなの?」と聞かれて固まってもうたしな。不安に阻害されないほどの安心感が、自分に培われていれば、そもそもいいのかもだけど。


結局、隣で美味しそうにご飯を食べてくれる、主菜を作るのが苦じゃない人を求めているのも、安心感が欲しいからなんだろう。今のところ、そういう人はくまモンさんしか思いつかないけれど。


とはいえ、1人で生きて、1人でご飯を作って食べて死んでいく可能性の方がやっぱり高いよなぁ、とか反芻しながら自炊をしていて、その時のBGMは’00年代にデビューしたUKロックブームのバンドの、新しい曲をまとめたプレイリストにしている。UKに住んでいる自分と同じ35歳で、UKブームのゾンビみたいに同じようなプレイリストを作っていて、しかも同じように「1人で生きて、1人でご飯を作って食べて死ぬ可能性の方が高いよなぁ」とか考えている人もおるんかもな、とか思うと、ちょっと面白い。いつか一緒に、グラストンベリーでダンスしようぜ。



新しい曲といいつつ、これは’19年の曲。コーラスがかわいいヨ。

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