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4月のあいさつ

  • 執筆者の写真: qnunun
    qnunun
  • 2023年4月10日
  • 読了時間: 6分

更新日:2023年5月8日



春分の日は、神奈川県の仏果山にひとりで登山人(やまのぼりんちゅ)。初めてコッヘルとバーナーを持って行って、アウトドアご飯やドリップコーヒーを楽しみました。今まで下山した後にコンビニコーヒーを飲むのが最高の一杯だったのだけど、姉にドリップバッグをもらい、せっかくなので山頂で飲んでみるかと思い飲んだら、なんかめっちゃ美味しかった。次もそうしようかな。
















その後に立ち寄った、本厚木にあるインド料理のお店のビュッフェも美味しかった。なんと90分1000円。カレー三種にビリヤニにナン、ライタにピクルス、パパドにプディング、全部おかわり自由。興奮のあまり、盛り付けがダーティーになってしまった、



前に登山中、歩きながらスマホから爆音でLiSAを流している年配のメンズに遭遇し、めっちゃ紅蓮華。わたしは自然音と山をゆく自分の歩く音が重なる音の心地よさが好きなのだし、「登山人(やまのぼりんちゅ)って、もっとECMとか聴くんちゃうのん」とも思ったりして、意外だったのだが、


その話を山の達人である關さんにしたら、いつものようにニヒルにフッと笑って、「熊除けじゃないですか」と言うのだった。でも、


そのもっと前、佇まいがええなと思って入った古本のお店、年配のメンズがひとりでしているお店だったのだが、そこでも爆音でLiSAがかかっていた。森銑三『硯』を前に、ガチガチのアニソンを聴く不思議。やっぱり「紅蓮華」だった。


知人が前にしていた「夜中、走り屋が車で爆走しながら爆音でNorah Jonesを流していた。夢を見ているのかと思った」という話を思い出した。シチュエーションと音の違和、みたいな。っていうか、年配のメンズを夢中にさせるLiSAはすごい。


ひとりで登山人(やまのぼりんちゅ)になる前、ソロ登山人(そろやまのぼりんちゅ)になんて、私がなれるのかしら、と一抹の不安を覚えていたのだけど、なんとかこなせていてすごい。なぜ私がソロ登山人(そろやまのぼりんちゅ)になれないのでは、と思っていたのかというと、答えはひとつで、私は地図が読めないからだった。街中、Google Map を見ていても道に迷うなんてザラにあり、


だから、最初は登山人への高い志しを持ちつつも不安に苛まれ人(やまのぼりんちゅへのたかいこころざしをもちつつもふあんにさいなまれんちゅ)だったし、ソロ登山を始めた当初も、不安人になりながらも山をゆく登山人(ふあんちゅになりながらもやまをゆくやまのぼりんちゅ)だったのだが、あくなき探究心のもと登山続行人(あくなきたんきゅうしんのもとやまのぼりをつづけるんちゅ)であって、


「とりあえず、迷ったら来た道を戻る」というのを心掛けるようにしていて、すると、とりあえず今のところ問題はない。山には標識もありますし。あとどこまでも謙虚に、用意周到に。無理はしないってことも大事だ。今のところそれで大きな問題はないのだし、だから、こうしてブログを書いている。生きて帰って、ブログ書くって最高!マンモス嬉P人(まんもすうれぴんちゅ)。


道を引き返すのって、ほんと大事。だから、最近はGoogle Map 片手に街を歩いて迷っても、一旦来た道を戻る、ということをしていて、


すると、今までに比べるとストレスが軽減された状態で目的地にたどり着くことができる。前はストレスすごく、何度Google Mapに「うそつき!」と叫び、スマホを地面ですりおろしてやろうと思ったことか。でも、今は「迷っているのでは?」と気づいても、「では、一旦来た道を戻ればいいのでは?」と素直に考えることができるようになり、だから迷ってもたどり着いたという事実自体は変わっていないけれど、ストレスの大小でいうと全然違う。


で、先日、迷ったり一旦来た道を戻ったりしながら、たどり着いたのが、原宿の『ニュースペース パ』だった。ここで小田島等さんの版画展が行われていたのです。アートを楽しむゾンビや検索窓、チラシの版画など、すごい作品が揃いまくっていた。小田島さんは、やっぱりすごい。私が上京したこともたまたまその数日前に知っていたそうで、積もる話もあって長居してしまった。そして帰りしな、小田島さんのコラージュ作品を集めた本も買って、


そこには小田島さんの、高校生の頃の作品も載っていて、ページを開くたびに「すごい人って昔からすごいんだな〜」と思う。歌ったり文章を書いたり、コラージュしたりメモを拾ったりなんてしているけど、私なんて全然なんてことない。小田島さんもいろんなアウトプットをしているけれど、“アート一つ”に熱心な感じがする。ずっとすごい、というのはFLANGERの、古着のコラージュや立体作品を見ていても思う。ほんま自分なんて、なんてことないわ。なんてこたぁない。


自分は誰かに認められるために作品を作っているわけではないし、自分が作りたいからやっているのだけど、だから自分のためだけど、やっぱりどっかで自尊心みたいなのがあることに気づく。でも、なんてことないのよ。みんなかっこよくて、すごいなぁ。


自分ってなんてことないな、と気づいた時、少し前の自分なら荒れ狂ってCoccoしちゃうと思うのだが、今はそうじゃなくて、「まぁ、しゃあないわな」と思えるようになっていて、一つの成長で、でもそれは今、自分が週刊誌で働いていて、書いた記事に多かれ少なかれ反響があったりするから。社会と接続している感覚があるから、なんかもなぁとか思う。


特に20代の頃の私は、社会と繋がっているという感覚が乏しく、自分の考えをどれほど投げても投げても届かないような。それは音楽活動を通してもそうで、自分が美しいと思うものを投げても問うても、反応は薄く、それは自分が唯一できる社会との繋がり方だったので、辛くて苦しかった。でも、今は仕事を通して社会とのつながりを感じていて、すると少し心が落ち着いた。荒治療かもしれないけれど。それはでも、やっぱり運が良かったということなのだろうし、今の仕事をしていない世界の自分をたびたび想う。


なんてことない自分だが、自分なりに、CDなど何か作ろうかなぁ、みたいなことをぼんやり思っていて、でもやっぱりすごい人には敵わないよなぁ、恥ずかしいなぁ、仕方ないけどなぁ、と思って袋小路に。そんな時、知人が「やっぱり作ったり表現したりっていうのを続けるって大事。表現者として人前に立つにつれ、次第に“見た目の美”を追求するようになって、整形しまくって、作品の良さが更新されない人がいるのよね」という話をしていて、ハッと「なんてことないなりに、やっぱりなんか作ったほうがいいのかも(脇道にそれやすい性格だし……)」と自戒のように反芻しながら、イチゴとカステラを齧っていたのだが、


『アメリカン忍者』を観ました。主人公がシャイなNINJAで可愛かった。NINJAの修行シーンもNINJAのテーマパークみたいで可愛さ極まっていた。あと、これは日本製だけども『未来忍者 慶雲機忍外伝』も鑑賞。きちんとした特撮もので、“近未来感”もあって面白かった。「なんで忍者いじめるん?!そんなんしたら、かわいそうやん?!」と思うシーンもあった。思わず入り込んじゃうのよ、忍者サイドに。

『アメリカン忍者』

『未来忍者 慶雲機忍外伝』


ってわけで、TSUI「Ninja In Love」のライブ映像がアップされたので観てくださいまし〜。これは「NINJAがNINJAに恋をしちゃいました!」というBLソングです。

それと、ソロのほうでも「風の頃」という曲をInstagramにアップしました。こちらもぜひ〜


「風の頃」


最近改めて、自分が高校生の頃に流行ったUKロックを聴き直しています。やっぱり好きだ、というか、当時よりもっと好きかもしれない。代表でいえばFranz Ferdinandで、他にもBloc Party、Future Heads、Maxïmo Parkに心踊る毎日。あの時、ポストパンクの流れを汲むバンドがたくさん発生したのは何でなんやろう。それとUKらしい抒情派のAqualung、KEANE、Snow Patrolもええなぁ。

「クークスの『Naive』はクラシックだワ」なんて思いながら、仏果山に登る日の朝、身支度をしていました。キス・ビッ・ダーン。スウィ、ハーッ。

 
 
 

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