7月のあいさつ
- qnunun
- 2024年6月30日
- 読了時間: 7分
更新日:2024年10月7日

SNSがあってよかったなと思うのは、さまざまなバリエーションの「簡単だし時短だし、でも美味しい」という料理を知れたことだ。今回作ったのもInstagramで流れてきた時短メニューの数々で、えのきやツナや豆腐を使ったふわふわした揚げ物と、オクラの唐揚げと夏野菜のマリネ。オクラの唐揚げは焦げてしまったが、また別の日に作ったら上手くいった。
上手く行ったほうのオクラの唐揚げを食べて「うま」と感嘆の声を上げた後、10秒で『ドキュメント72時間』を観ながら泣いてしまった。歳をとって涙腺が弱くなったとか、そういうのをよく聞くが、自分は子供の頃から感情が取っ替え引っ替えにやってくるタイプで、なんていうか疲れる性格やなぁと思う。その後、田中真美子さんが顔出しする前にキンタロー。さんが披露した「大谷翔平の嫁(予想)」というモノマネをYouTubeで観て、お腹ちぎれるほど笑い転げました。#写真撮るのドチャグソ下手糞マンのお料理日記
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夢に中川家の礼二さんが出てきた日、桂ざこばさんが亡くなった。ざこばさんといえば『たかじんの胸いっぱい』(関西テレビ)だと思うのだが、誕生日のお祝いのシーンで3人のダンサーが出てきて、彼らは後ろを向いたらパンツに1人ずつ「ざ」「こ」「ば」と書かれていて、でも立ち位置を間違えたので、「ざ」「ば」「こ」やって、それでもざこばさんは嬉し泣きしてて、子供の頃、なんかめちゃくちゃに面白かった。
5月に亡くなったキダ・タローさんにも思い出があって、というのが、私が小学生の頃、姉が明石市民会館で行われたカラオケ大会に出て、姉はMISIAの「つつみ込むように…」を歌ったのだけど、その時の審査員長がキダさんやったのだ。キダさんは「イントロから難しいのに、よう歌えてましたね」と、他人事のように聞こえるけれど穏やかで優しい、いつもの口調で褒めていて、「なんかええひとやな」と思った。そのカラオケ大会の幕間に来ていたのは水玉れっぷう隊で、客席いじりのとき母がめちゃくちゃにイジられました。
関西の文化人に対する自分なりの思い出、というかちょっとした記憶は他にもあって、成仏させる機会を伺っていたのだけど、とりあえず今かもと思って書いてみる。例えば『おはよう朝日です』(ABCテレビ)のアナウンサーをしていた頃の宮根誠司さんは、『おは朝』の音楽ランキングのコーナーでCocco『雲路の果て』が1位やった時、「『体があなたを知らなければ』ってどういう意味なんですかね~」と苦笑するように話していた。
FUJIWARAがやってた『嵐の金曜カウントダウン』(MBSラジオ)に、新人アーティストを紹介するコーナーがあり、そのときNIRGILISが1度目のメジャーデビューをしたばかりで、多分「KING」が流れたと思うのだけど、曲を聞いたフジモンが「UAやん!」とめっちゃ大きい声を出していた。結構、何度も言っていて、「絶対この子らUA好きやろ!」と言ういっぽうで、私は「フジモンもUA好きなんかな」と思った。
フットボールアワーののんちゃんはCHARAがめっちゃ好きで、CHARAの話を『いきなりフットボールアワー』(MBSラジオ)でたびたびしていたのだけど、相方の後藤さんは「あたしなんで抱きしめたいんだろう?」の「なんでぇ~?」の部分をよくモノマネしていた。後藤さんはいつか「演歌を聴くようになった。年とったらもっと好きになるんかな」と話していて、今も演歌聴くんかな、とテレビで見かけるたびに思う。
一度、『いきなりフットボールアワー』主催のライブイベントが江坂MUSEで行われたことがあって、そこには歌手時代の川上未映子さんやDAIGO☆STARDUST時代のDAIGOさんが出演していて、抽選で当たった高校生の私は、今なお心友(しんゆう)である女性の友人と観に行った。その時、後藤さんがギターの弾き語りをするコーナーがあり、後藤さんは酔っ払っていて、男女で来た人は手を挙げるくだりになり、私たちが手を挙げたら「この後2人でホテル行ったらええやん!」といじられて、それもまたいい思い出。
未映子さんは『いきなりフットボールアワー』のごく初期のマンスリーゲストで、でもゲスト期間が終わっても飛び込みで出演しまくって、結果的にほぼ準レギュラーみたいな形になっていた。フットののんちゃんは未映子さんの1st『夢見る機械』をすごく気に入っていて、それは先述のようにのんちゃんはCHARAが好きで、未映子さんの1stはCHARAっぽさもあるから気に入ったんちゃうかしら。未映子さんの2nd『頭の中と世界の結婚』には、フットの2人がコメントを寄せていたような。
『いきなりフットボールアワー』でのトーク力を買われたのか、未映子さんは後々、別の曜日の同じ時間帯に放送されていた、「セクシャルバイオレットNo.1」でお馴染み桑名正博さんの番組『セクシャルMo-Jahナイト』でアシスタントをやっていた。確か初回は、2人でビートルズの曲をセッションしたはず。でも1年くらいで出演しなくなって、芥川賞を取るのはその2年後くらいと記憶しています。
なんでこんなに未映子さんの話をするのかというと、私はもともと歌手時代の未映子さんのファンだったのです。『POP JAM』(NHK総合)でデビュー曲の「瞳ヴァイブレーション」をノリノリで歌ったけど客席の反応が芳しくなくて、未映子さんは「なんでなん?!」と司会のつんくさんに噛み付かんばかりにめっちゃ不満げやって、私は面白い人やなと思い、
その後にフットのラジオで話しているのを聞いて、一気にファンになり、ブログを読んだらその文章や視点に衝撃を受け、未映子さんの影響で倉橋由美子を読み始めた。一度メールでファンレターを送ったこともあって、返事が来た時は嬉しかった。初めての本「そらすこん」も、発売日に明石のジュンク堂で買いました。
他にもシャンプーハットのてつじさんにラジオで褒められたことや、高校の時、ケンコバさんと友近さんがなぜかうちの高校に来て「夢」をテーマに講演したことなど、紐解いていけばまだまだあるような気もするけれど、とりあえず思いついたのはこんな感じ。関西の文化人が亡くなったり、芸人が上京して、いい意味でも悪い意味でも変わったりで、いろいろ思う35歳の初夏。中川家の礼二さんがお兄ちゃん以外に見せる、シャイな表情が好きやねんなぁ。
関西弁はやっぱりいいな、関西人のノリって好きやな、と最近ことに思っていて、そんななかおとぼけビ~バ~にどハマりしている。関西弁の響きの良さやリズミカルな感じにグッときている。思えば、あふりらんぽを筆頭に自分が関西ゼロ世代にハマったのも、そういう点だった。それにおとぼけビ~バ~は社会に中指立てて、怒りが爆発していて、そこもかっこいいナ。
関西ゼロ世代で思い出したけど、10年くらい前、巨人ゆえにデカいの水内義人さんが大阪の九条にある「FLOAT」で仮面をつけてパーティする、しかも参加者は名乗ってはならない匿名性、というイベントを主催して、私も友人に誘われて参加して、仮面をつけながらうまい棒を食べたりしたのだが、そのイベントに、めちゃくちゃいい声の人が遅れてやって来て、お面をつけていない状態の顔を見て、絶対おかけんた・ゆうたのけんたさんやって直感でメチャクチャに確信があって、
というのも、ただええ声というだけでなく、おかさんが現代美術のコレクターであると知っていたらからだった(水内さんは美術家でもある)。で、やっぱりええ声やし、ということで、隣にいた仮面姿の女性に「あのかた、おかけんた・ゆうたのけんたさんですよね」というと、「そんなわけないやん~」と笑われたのだが、
ニックネームで呼び合うというルールのもと、その男性が「では、私のことは“Mr.・グッドボイス”と呼んでください」と自己紹介したので、その女性と思わず顔を見合わせて「やっぱり本物やん!」となった。
ちなみにおかけんたさんとは子供の頃にも一度遭遇していて、岡山に三丁目劇場がまだあったころ、「おかやま桃太郎まつり」の群衆のなか見かけたのだ。そんな思い出も、ありますわいな。
あと、ずっと胸に引っかかっているのだが、『ミュージックパラダイス』(ABCラジオ)でSOPHIAの「PLACE」という曲を間違えて「プラッセ」と呼んでしまって、大笑いしていた女性のアシスタントの方がいらっしゃったのだが、誰だったのかしら。どなたかご存知なら教えてください。なぜこのことをずっと覚えているのかというと、プラセンタと聞くたびに「プラッセ」という言葉が蘇り、気づけばそのまま大人になってしまったからです。とりあえず、渡辺たかねさんではありません。
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