11月のあいさつ
- qnunun
- 2023年11月2日
- 読了時間: 5分
更新日:2024年10月7日

どんなに風邪をこじらせてても、ちゃんと歩いてスーパーに行って、食材買って自炊するわたし、えらいわ(三浦瑠麗風~!)
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寝る前、枕元にMacBookを置いて小中学生のころにハマったJ-POPの女性SSWのアルバムを聴くのが楽しい。名前を挙げるとキリがないのだが、矢野真紀さん、白鳥マイカさん、天野月子さん、山本美絵さん、鳳山雅姫さん、岡北有由さん。グループでいえばCORE OF SOULやLitaなど。MacBookからの音量と、音質や音世界がぴったり合って、眠るまえに心地いい。
何より歌詞の書かれたブックレットを読みながら、言葉を何度も反芻するのが好きだ。
今でもそうなのだが、自分には本を読む習慣が子供の頃からあまりない。でも、自分でいうのもなんだが、昔から言葉や表現方法はたくさん知っているほうだった。だから、国語の授業は得意だった。
それだけでなく、本読みの宿題は一度もしたことがないけれど、授業では「根岸くんは文章を声に出して読むのが上手」とたびたび褒められたし、「作者の気持ちは?」という設問もお手の物で、その結果、センター試験も200点満点中190点だった(確かそのはず)。
そもそも子供の頃から、自分の気持を書き表すことに躊躇がなかった。小学校の終わりに詩を書き始め、中学生になるとブログに日常を綴るようにもなっていた。
本を読む習慣がなかったのに、なぜ国語が得意だったのか。何より、なぜ「書くこと」に躊躇いがなかったのか。その理由は今思えば、自分にとって矢野さんたちの歌詞が詩であり小説であり、つまり文学だったからだ。
当時も私は、ブックレットを読み耽っていた。ラジオから録音した音源は歌詞を耳コピして、「ここはこう歌っている」と想像した。そうして彼女たちの歌の描写する世界に陶酔し、あらゆるシーンを思い描き、感情移入したりしながら、自分の心は育まれたのだと思う。そして、彼女たちへの憧れもあり“書いた”。
また詞が音と合わさることで、立体的に聞こえ、映像もイメージした。音楽が映画のような役割も果たしていた。
矢野真紀「大きな翼」
その当時にデビューした名前しか知らなかったSSWも、大人になるにつれ、より興味を持つようになった。イノトモさん、上田まりさん、大木彩乃さん、勘解由友見さん、栗原淳さん、福間未紗さん、松田マヨさん。全員女性だ。彼女たちのCDを集め、やはりまた文学としてじっくり向き合いながら音楽を聴いている。
私には性別違和があるわけではないが、とはいえ、男性と思われることがあまり得意ではない。性自認は男性だし、男性だと思ってもらって全く構わないし、自分も男性として振る舞うのだが、ときに“男性であること”を苦手に感じることがある。
「男性であること」を求められると身体が強張ってしまうことがある。「男性であること」のうち“これがOKでこれがダメ”の部類分けが、自分でもよくわからない。ただ、例えば父親が亡くなった際、葬儀を含めた3日間どうしても「長男」として振る舞わなくてはならず、自分を保つことに苦心した。
天野月子「B.G.」
この前テレビを観ていたら、VTuberの“中の人”が話をしていた。VTuberとしては可愛らしいアニメ風の声を持つ女性だが、中の人は男性で、VTuberを演じる際には高めに発声すると語っていた。その上で、さらに音声を加工するという。「VTuber活動を通して理想の自分になる」といった話をしていたように思う。
私はそのとき、「こういう変身の仕方は新しいな」と感心し、画期的なことだと思った。“VTuberとしてなりたい自分になる”という方法で、性別に対する違和感から救われるひともいるのでは、とも思った。そんな大袈裟な話ではなくても、束の間のリフレッシュに変身する人だっているだろう。それにこの変身は、それほど難しいことではない。それは、とてもいいことだと思う。
でも思えば、私も簡単な方法で、なりたい自分になっていた。先ほど述べたような女性SSWの歌を歌うことで、主人公になるきることで、自分の男性性を遠ざけることができた。彼女たちの歌声に、というか発声に少しでも近づけようと繰り返して歌っていた。その時間が、自分を救ってきた。彼女たちの音楽が居場所だった。
彼女たちの歌詞に共鳴し、様々な感情を知った。彼女たちは複雑な感情の様子を歌っていたから、多感な時期、自分の感情のあらゆる形態に巡り会うたび、「こういった感情を抱くのは自分1人だけではない」と自分を肯定することができた。彼女たちの感覚にもっと近づきたいとも思ったし、やっぱり彼女たちになりたかったんだと思う。
白鳥マイカ「線」
彼女たちの音楽は音楽誌はおろか、一般的にも広く評価されているわけではない。世界どころか、日本でもごく一部でしか聴かれていない。私のように“文学”として聴いていた人も稀だろうし、当然文学界で評価されているわけでもない。それでも、私に文学的な感覚を教えてくれて、私を救ってくれた彼女たちの音楽は、私にとってかけがえの無いものだ。これほど私に影響を与えたものはない。
彼女たちのおかげで書くことを覚えた私は、もともと働くことが苦手で何度も挫折してきたが、今は週刊誌の記者として働くことができている。それももう、来月で7年目を迎える。
また仕事では無いところで、自分の考えを文章や詩にしたためている。フラストレーションを発散することや自分を楽しませることもできる。
さらに彼女たちの音楽によって変身できたことで、自分を保つことができた。そのおかげで今があるし、今も変身を続けている。
私は今、改めて“文学”への想いを深めている。
CORE OF SOUL「Photosynthesis」
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